人類文明の星図の両端には、かつて二つの思想の灯台が輝いていた。ひとつは西洋の哲学の火を灯した古代ギリシャのアカデメイア、もうひとつは東洋の叡智の光を集めた稷下学宮である。今、中国のノンフィクション文学の重鎮・陳歆耕(ちん・しんこう)は、30万字に及ぶ大作『稷下先生』をもって、この古の学術殿堂の栄枯盛衰を深く掘り起こし、歴史の塵に埋もれていた人類思想の記念碑を再び世界の舞台へと押し出した。

『稷下先生』は、単なる稷下学宮の歴史を詳述する文化書にとどまらず、人類の共通の運命を照らす鏡として、政治文明の進化を探る思想的テクストでもある。陳歆耕は『戦国策』『史記』『孟子』『荀子』などの古典を自在に操り、儒・道・墨・名・法の諸子百家が激しく対立し、また融合していった壮大な知的景観を鮮やかに描き出す。孟子は覇政を批判し「仁政」を唱え、荀子は「礼を尊び法を重んず」と説き、名家は名と実を論じ、道家は自然を語る——まさに東洋思想の軸心時代の精華が生き生きと甦る。
斉の国に始まり、戦国時代の百家争鳴の中で隆盛を極めた稷下学宮は、「政治に関与せず論を戦わす」「多様な思想を包摂する」という独自の機構により、人類史上最初の「思想の自由港」かつ「高等学術共同体」として称えられる。陳歆耕の筆は、まさに中華思想の源流への深い敬愛を込めた旅であり、同時に時空を超える文明対話への扉を開く。復旦大学中華文明国際研究センター主任の陳引馳(ちん・いんち)氏はこう評する——「歆耕の本は、百家の叡智を縫い合わせ、小景に風雅、大観に勢いあり。その精神の風貌は、まさにプラトンの学園と並び称すべきである」。
「歴史の断層帯に立つ」文化観察者として、陳歆耕は一貫して知識人としての独立性と鋭い洞察力を堅持してきた。代表作『蔡京浮沈』『剣魂簫韻──龔自珍伝』などでは、権力の本質や思想の解放を深く掘り下げている。彼の筆によって描かれた蔡京は、単なる「権臣」の象徴を超え、権力の異化を問う古今の典型となり、龔自珍は、清末の思想的突破を導く先駆者として浮かび上がる。陳歆耕は、歴史を以て現在を照らす明鏡を鍛える達人なのである。

『稷下先生』の出版は、すでに国内外の文学界に注目を呼び起こしている。稷下学宮とアカデメイアは、ユーラシアの両端に位置しながらも、ほぼ同時期に誕生し、思想の自由と包摂の精神を掲げ、人類哲学の黎明を照らした。その視点は、東西思想史の内なる共鳴を理解する新たな観点を提供し、『稷下先生』が架けた文明対話の橋の意義を強く裏付けている。

分断と対立、政治の極化と文化の断絶が進む現代世界において、本書の深い意味はよりいっそう際立つ。それは輝かしい歴史の叙述にとどまらず、現代への深遠な示唆でもある。書中で鋭く指摘される——「百家争鳴し、雲が湧き霞が立つ稷下学宮は、政治・哲学・倫理の分野における人類の叡智の集団創造の最高峰であり、中華文明が世界に贈った永続的な思想資源でもある」。千年の眠りから古代の叡智を呼び覚ましながら、陳歆耕はこの力作によって、人類の未来をめぐる核心的命題に応答している——より高次の政治文明をどう構築するか?その答えは本書の信念に宿る。「我々は、歴史の追随者であるだけでなく、文明の再興者でなければならない」。
深い思想を持つ作家は、筆をもって歴史を鑑とし、世界を懐に抱く著述者は、文明の光をもって時代の霧を切り裂く。『稷下先生』を炬火とする陳歆耕は、歴史の煙霧の中で力強く再び宣言する——思想の自由こそが人間の尊厳の礎であり、文明の対話こそが未来へ至る大道なのだ。