二十歳の春の東京は、いつも湿気を帯びた息吹をまとっていた。畳は草の織りなす優しい香りを放ち、手を伸ばせば昭和時代の映画の色褪せたワンシーンに触れられそうだった。窓の外の空気はひんやりとしていて、神田川には細かな雨が灰白色のヴェールを織り成し、まるで浮世絵の未乾の墨絵のように街をぼんやりと染め上げていた。

あの日の午後、雨は突然激しくなった。まるで空の深みで誰かが急にやかんをひっくり返したかのようだった。私は神田川沿いを走った。濡れたスカートが一寸一寸足に張り付き、冷たさで息を忘れそうになった。雨宿りのため、狭いが静かな書店に飛び込んだ。木の床は足元でそっと軋み、年月の息吹を伝えてくる。空気は紙と雨とコーヒーの香りが混ざり合い、軒先の風鈴は雨音に揺れ、忘れられた前奏曲のように響いていた。
窓際の一角に、それを見つけた——緑色の表紙の『ノルウェイの森』。その静かな緑は、一つの森の魂を隠しているかのようだった。当時の私の日本語はまだ拙く、辞書を片手に文字の稜線を登りながらページをめくっていた。ページをめくるたび、未知の扉を押し開けるようだった。愛、孤独、死の気配が押し寄せてきた——まさに村上春樹の言葉の通り、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」 あの瞬間、青春の悲しみは一過性の影ではなく、人生の構造に織り込まれた暗流であると理解した。
恋愛においても、小説のヒロインを真似た。彼女の沈黙や時折の謎めいた言葉遣いを学んだのは、それが文学の温度に近いと思ったからだ。私の青春は次第に『ノルウェイの森』の色に染まっていった。美しく、夢のようで、そして逃れられない運命の冷たさを伴って。
直子のもろさ、木月の沈黙の崩壊、渡辺の欲望と死の間のさまよい——それらが私に教えたのは、言葉にできない苦しみはすでに誰かが詩にしてくれているということだった。だから眠れぬ夜、私は畳の上に丸くなり、その緑の表紙の本を抱いて、村上の言葉がビートルズやビル・エヴァンスの音楽を奏でてくれるのを聴いた。

午前三時、私のアパートの通りは空白のネガフィルムのように静まり返り、自動販売機の「カン」という音だけが響いていた。ある雨の夜、直子の言葉を読んだ時——「私のすべての努力は、ただ普通に抗うためのものだったの。」——涙がすでに服を濡らしていることに気づいた。最も残酷な孤独とは、痛みすら照らす対照点を持たない孤独なのかもしれない。
しかし、療養所の後の井戸が月光に満たされるように、私は新宿御苑の欅の木の下で自分自身の解放を見つけた。重なり合う葉の間からこぼれる日差しは、地面にゴッホの『星月夜』のような渦を描いていた。しゃがみ込んで見ると、アリたちが樹皮の溝に沿って桜の散った花びらを運んでいた。その瞬間、解放とは春の消えゆくものを受け入れるように、自分の誰にも気づかれない雨季を受け入れることだと悟った。
今は2025年8月。マンハッタンの黄昏に立ち、夕日に縁取られたハドソン川を見ている。電話の向こうでは記者の質問が鋭く、騒がしい。しかし私の心に浮かぶのは、神田川のほとりで雨に濡れたあの少女——緑の表紙の本を抱きしめ、水のような月を掬うような姿だ。
今年、村上春樹と私は共にノーベル文学賞の予測リストに名を連ねている。もしその栄冠が彼のものになれば、私は彼よりも先に涙を流すだろう。なぜなら、あの二十歳の私がすでに雨音の中で彼の予言を読み取っていたからだ。文学とは夜に二つの川が偶然に交わる飛沫であり、孤独な旅人に伝える——平行世界のどこかで、誰かが同じ孤独を共有していることを。
年月を経て『ノルウェイの森』を再読すると、私は渡辺が直子の墓前で見せた微笑みをやっと理解できた。その微笑みには、村上春樹がすべての読者に贈った贈り物が込められている——私たちがどんなに変わろうとも、歳を取ろうとも、文学は雨の中を走る私たちの心の響きを聴かせてくれる場所であり続けるのだ。
別の世界で、二十歳の私はまだ東京の畳の上に座り、彼の本を読み続けている。外では細雨が降り続き、神田川は静かに夜の闇の中を流れている。
