
夏至の陽気が最も強くなるこの頃、自然の力を使って自分の体力を回復するにはどうすればいいだろう。この酷暑の中、どうすれば心身の清涼を保つことができるだろうか。東華膳(とうかぜん)の「借事煉心,覺悟人生(事物を借りて心を煉り、人生を覚悟す)」という智恵に倣い、農作業、禅、そして日々の生活の中に、節気と共鳴するリズムを見つけよう。
天地の陽気を集め、動と静の間に生命の活力を吸収させる
霧が立ち込めセミの鳴き声が響く中、東華禅寺の朝は訪れる。毎朝の講義が終わると、僧侶たちは野菜畑へ草取りと肥料やりにやって来る。太陽がカンカンに照りつける中の農作業は暑くないのだろうか。ところがどうだろう、畑の作物は太陽の光を浴びれば浴びるほどいきいきとし、人も体を動かすと気や血液の循環が促進され、朝の光を受けて毛穴がわずかに開く。これはまさに、伝統中国医学で言う「陽を用いて陽を引き寄せる」という素晴らしい方法だ。
夜の帳が下りれば「念を守り、心を静める」という心法で瞑想する。動いていないように見えるが、実際には体内にこもる陽のエネルギーを調和させているのだ。夏至の時期は陽のエネルギーが表に現れ、人々の心は衝動的になりがちだ。瞑想とは思考を抑制することではなく、雲が昇っていくかのように妄想が陽のエネルギーとともに自然に流れていくよう導くことなのだ。朝に体を動かす「動」も夜の「静」も、その時々に応じて身体を陽のエネルギーを受け入れる器となるようにしているのだ。

季節に応じて旬の食材を食べる自然の知恵
夏至後の夏の暑さは、脾臓と胃に最もダメージを与えやすい時期だ。農耕文化と禅文化には、この暑さに対処する素晴らしい方法がある。つまり「旬の食材、地元の食材を食べ、自然の物で自然の体を養う」という考え方だ。
この時期は、キュウリ、ナス、空心菜など旬の野菜を食べるのに最適だ。旬の瓜類や野菜には、清熱作用や夏バテの緩和作用があり、手ずから農作業をすることで、人々の心はその土地と深い結びつきを持つ。
農耕文化と禅文化における食の知恵は決して複雑な健康法ではない。ただ「今この瞬間に大地が与えてくれるものを食べ、今この瞬間にふさわしいことをする」だけだ。都会の人々がスーパーで旬ではない野菜を買う一方で、東華禅寺の僧侶たちは、鍬と竹籠を使った最もシンプルな食養生法を説いている。


麺食から祈りまで 節句の風習により伝統のリズムを継承する
東華禅寺では、夏至の伝統的な風習に独自の禅の解釈が加えられている。「冬至には餃子、夏至には麺」という民俗習慣が、東華禅寺では「禅麺」へと昇華された。旬の新鮮な野菜を添え鍋から立ち上る湯気と共に麺を味わう。
細長い麺は、夏至後の短い昼の「時間」を象徴し、古代人の「陰陽交替」の哲学観とも合致している。夏至は陽のエネルギーが非常に強く、冷たいおかずと一緒に麺を食べることはまさに「陰を以て陽を助く」という生活の知恵なのだ。

『礼記』には、「夏至が来たら、大地に供物を捧げ、麦や魚を供える」と記されている。古代の人々は夏至は陰陽の転換点であるとし、供物を捧げることで豊作を祈願した。
呉や越の国があった一帯では、漁師は夏至の日にする最初の漁で捕れた、最も大きな鯉を川の神に捧げ、夏の洪水の安全を祈ったと言い伝えられている。北方の農耕民族は、収穫したばかりの小麦で餅を作り土地の神に捧げ、自然の恵みに感謝した。
古代の人々が夏至に神々に供物を捧げたのは、自然への畏敬の念の表れであり、我々が経を唱え幸せを祈るのも、天地のエネルギーと共鳴しているのだ。目に見える節気の流れは修行する機会をもたらし、真のエネルギー向上は常に内なる心の観察から始まっている。

暑さを避け心を落ち着かせることで自然と涼を得る禅の妙法
食事に加えて、暑さを避ける上でより重要なのは「心の静けさ」を得るためにどのように実践するかということだ。暑さを避けるにはまず心の暑さを避けること。心が落ち着かなければ、氷の洞窟の中にいても暑さを感じるだろう。
寺院の建築にも、暑さを避ける知恵が隠されている。明清様式の堂内の高い軒や反り返った角(翹角/ぎょうかく)は、風を堂内に取り込み、直射日光を遮る。信徒たちは中庭の菩提樹の木陰で、しばしば寺の風鈴の音を聞きながら瞑想にふけっている。「木々の揺れる影を見ていると、なぜか心が静まるのです」。

夕方になると、僧侶の中には運動や掃除をする人もいる。この時間帯は暑さが和らぎ月光と汗が互いに補い合って、まさに「動きの中に静けさを求める」ことで暑さから逃れる最適な方法だ。冷房の効いた部屋に閉じこもるよりも、自然と共存するこの方法は、「世俗から離れず、煩悩を超越する」という修行に通じている。
灼熱の太陽の下で草むしりをしたり、食堂で露に濡れた野菜を味わったりするなど、東華寺における夏至の生活は、究極的には一つの核心となる原理を指し示している。それは、外なる時間が常に変化している中、内なるエネルギーを「気づき」を通して覚醒させることだ。夏至は暑さと戦う日ではなく、灼熱の太陽の下で地に足をつけ、一瞬一瞬を自由な場所にすることを学ぶ日なのだ。
