
2026 年 9 月 1 日から 9 月 3 日まで、現代アートグループ展『無声』が東京銀座の単向街書店・銀座店で開催された。本展は「無声」をテーマとし、作品展示と会場での交流を通じ、アーティスト、キュレーター、来場者が一堂に会し、芸術、人生、記憶、内面世界についての対話を繰り広げた。
従来の美術展と異なり、『無声』は作品を単なる視覚的な展示に留めず、意見交換や座談会を展覧会の重要な構成要素として位置づけている。会期中、参加者はそれぞれの生活体験、創作活動、人生の悟りをもとに、沈黙、表現、自己と社会の関係に対する理解を共有した。
「無声」とは、表現がないことを意味するわけではない。
本当に大切な感覚は、言葉で簡単に言い表せないことが多い。人は日々の生活や成長、変化に直面するたび、言葉では正確に描写できない感情や記憶を抱える。芸術はそうした思いを伝えるもう一つの手段である。言葉が途絶えたあとも、絵画、身体、線、映像、人と人との交流が、内面を表現する器となりうる。

芸術から人生を語り、対話の中で「無声」を探る
本展のキュレーターは郭博昊氏と刘禹麟氏が共同で務め、北京宋荘出身のアーティスト・郭全紅氏、藍京華氏が学術顧問に招かれた。
郭博昊氏は日本 Melody 合同会社の創業者で、青年アーティスト、キュレーターとして東京を拠点に活動している。雲南大学芸術デザイン専攻を卒業し、絵画や現代アートの創作のほか、展覧会企画、アーティスト交流、国際文化プロジェクトの運営に携わってきた。
郭博昊氏にとって、創作とキュレーションは決して別々の道ではない。自身の制作を通じて表現言語を模索し、展覧会企画によって多様なバックグラウンドを持つ作家とつながり、芸術と文化をつなぐ交流の場を築いている。
刘禹麟氏は香港乙己文化の創業者、キュレーターで、中日芸術文化プロジェクトのプランナーである。日本文化服装学院ファッションマネジメント専攻修士課程修了。キュレーション、国際文化発信、アーティストブランド構築を長年行い、現在は東京を拠点に、中日作家の交流、国際展覧会の共催、芸術家の海外進出を後押ししている。
学術顧問を務める郭全紅氏、藍京華氏は、中国現代アートの一大拠点である北京宋荘から、現場の視点と思索を本展にもたらした。二人の参画により、芸術と生活に関する議論がより深く広がった。
キュレーターと学術顧問は、『無声』を「作品を鑑賞するだけの場」ではなく、人と人が本音で語り合う空間とすることを目指した。
そのため本イベントにはテーマ座談会が設けられた。議論は芸術理論に限定されず、「無声」をきっかけに、芸術、人生、創作体験、人と社会の関わり、自我への認識など、幅広いテーマで語り合われた。
この開かれた交流によって、「無声」は単なる展覧会テーマから、リアルな体験へと昇華していった。
書道に見る無声の表現

出展アーティストの章尚敏氏は、書道の創作、教育、文化交流に長く携わり、中国書法家協会会員、上海市浦東新区書法家協会副主席、上海胡問遂芸術館執行館長などを歴任。作品は国内外の展覧会や中日書道交流事業に多数出展している。章尚敏氏は「大阪国際金賞」を受賞しており、書の技量が高く、海外の書壇で高く評価されている。
座談会では、伝統書道が「無声」を理解する重要なヒントとして取り上げられた。
書道には音はないが、一画一筆を通じて感情や精神が伝わる。筆を下ろす前の思索、運筆のリズム、書き上げられた墨跡そのものが、無声の表現である。
書道において「語る」ことに声は必要ない。作品に込められた思い、経験、思想は、鑑賞者自身の感受によって読み解かれる。
これこそ『無声』が伝えたい姿である――芸術は大きな声で主張しなくてもよい。静かであるからこそ、心の声が聞こえてくるのだ。
個人の記憶から、現代人の表現手段を探す

青年アーティストの張承雨氏は、現代アートの視点から本テーマに向き合った。
張承雨氏は韓国祥明大学造形芸術学科を卒業し、現在イギリス・グラスゴー芸術大学現代アート実践専攻の修士課程に在籍している。自身の制作は個人の物語や哲学的テーマを軸に、インスタレーション、写真、映像など複合メディアを活用し、トラウマの記憶、社会文化と個人の存在の関係を探求している。張承雨氏も「大阪国際金賞」を受賞しており、国際的な現代アートシーンで注目を集める新進気鋭のクリエイターである。
彼の創作は主に自らの体験と記憶を起点とし、言葉では語りにくい思いを視覚的なかたちに変換する。この表現手法は、『無声』のコンセプトと自然に呼応している。
語りたくない経験、言葉にできない記憶、表現の術がない感情は、消えることなく、身体や記憶、暮らしの中に残り続ける。写真、映像、インスタレーションは、そうした「言い表せないもの」を可視化する手段となる。
芸術でもあり、人生でもある対話
『無声』の特徴は、「無声」に対する唯一の答えを定めていない点にある。
人によって、無声は沈黙であったり、傾聴であったり、孤独であったり、自らと向き合う時間であったり、言葉を超えた表現であったりする。
座談会は作品解説に留まらず、自由な対話の場となった。参加者は自身の体験から話し始め、創作と人生の選択、個人の記憶と現代の暮らし、「表現の意義」について語り合った。
年齢や芸術的背景、人生経験の異なる人々が集うことで、「無声」は抽象的な芸術概念ではなく、誰もが体感できる生命の体験となった。
アーティストは作品で思いを表し、キュレーターは展覧会で人と人をつなぎ、鑑賞者は鑑賞と対話を通じて自らの理解を完成させる。
ここで芸術は単なる鑑賞対象ではなく、人と人を結ぶコミュニケーションの媒介となっている。
沈黙を、もう一つの声に
『無声』が提示しようとするのは、完全に静かな世界ではない。
むしろ、外界の喧騒から少し距離を置いた先に、見落としがちな声――記憶の声、感情の声、暮らしの声、そして自分自身の内なる声を聴き取ってほしいという願いである。
伝統的な書道から現代の写真、映像、複合メディアまで、作品展示と座談会、創作と人生のシェアを通じ、『無声』は開かれたかたちで芸術を異なる個人や文化をつなぐ架け橋として機能させている。
言葉が静まったとき、芸術が語り始める。
そして本当に心を落ち着けたとき、わたしたちはやっと自分自身の声に耳を澄ますことができるのだ